アウシュビッツという名前それ自体から「怖さ」のようなものを感じるのは、そのように習ったからなのか、根源的なものがあるのか。まあ前者なのだろうが、少し後者の要素もあるのではないかと思う。
小学生の頃によく小学館の世界遺産図鑑のような本を眺めていた。アウシュビッツはそこで知った。白神山地やピラミッドといった、自然や文化的な遺産と、アウシュビッツは明らかにトーンが異なっている。「負の遺産」という分類があることも、そこで知った。
「あの時からずっと知るアウシュビッツに、今俺はいるのか」。アウシュビッツを訪れ、最初に感じたことだ。
アウシュビッツはとにかく広い。収容所の端までいって中央路を振り返ると、人が粒のように見える。
かつての人々も、新たに運ばれて来た人をこうやって眺めていたのかなと思った。
これだけの広さが必要なほどの人数だったのだ、ということも思った。
場の次は、展示に目を向けたい。
チケット窓口の行列は長かった。2時間半並んだので、こんなに人がいると展示は相当混雑するだろうと思っていた。
が、展示の異常な広さにより、中は静かなのだ。風が木を揺らす音にすら気づく。この静かさは、展示の異様さを際立たせる。
展示にもエネルギーの強さを感じた。様々な切り口の展示がなされているが、そのどれもが異様なエネルギー、訴求力を持っている。
当然色んなな思いが湧き上がるものの言葉に落とすのは難しい。ここでは読む方の想像力に頼み、”状況”だけ記載する。風の音が聞こえるほどの静かな空間でそれを見ていると想像して欲しい。
収容時に押収された食器が集められた、5m×2m×10mほどの容器。
押収された、一瞬それとは分からない大量のメガネ。
奥行き約2m、女性の切られた髪の毛の山が、横幅10m連なる展示。
3面を壁に囲まれた銃殺場に入り、銃殺する面への対峙。
集団で絞首するための用の絞首台の真下の通過。
「ゲートのBが逆さになっている」という話が、小学生の時に読んだ図鑑の中で一番記憶に残っていた。時間はかかったが、来られて良かった。