中国やインドでは何もしてなくても向こうから人やハプニングがやってくる。ヨーロッパでは自分からいかないと人とぶつかれない。だから積極的に人とコミュニケーションを取るようにしよう。
ということをヨーロッパに入った序盤に考えていた。
が、旅も終盤に差し掛かってくると、この「コミュニケーション欲」は減ってきた。(これは決して「何だよ最近普通に観光ばっかして中国とかインドみたいなドタバタがなくてつまらんのだが」という、もう1人の自分からの痛烈な批判に対する言い訳じゃない、決して。)
コミュニケーションを取りたくないわけではない。「まぁ向こうから来たら楽しく話そうと思ってはいるが、こちらから積極的に動くほどではないかな」という地点に現在落ち着いている。
オランダで話したのは共有スペースで読書した時に突然話しかけてきたタトゥーまみれの男1人くらいだ。女の子が大好きのようで、日本人というと「ヒトミっていうポルノ女優知ってる?」という話くらいしかしていない。多分知ってる。夜にパーティあるから是非きてくれと誘われたが、さすがに危険センサーが反応したので丁重にお断りした。リスペクトを持ちつつ丁重に断るというのは、旅で意識的になった技術だ。「誘ってくれて、あなたと話せて楽しかったよ」とフォローを入れるのがコツである。
なぜコミュニケーション欲が落ち着いたのか。「適度に話すことはできると分かってしまった」からだと思う。(以下つらつら書くが取り止めがない。自分用のメモレベルで書いている。ご容赦いただきたい。)
「英語で実際に人と話す」など、最初のうちは死活問題であり、チャレンジングもチャレンジングだった。こういう時のやる気はすごかった。
ただ、低いレベルだとしても一旦なんとなくできることが分かると、このやる気は落ち着く。
「慣れ」というと、個人的にはマイナスな要素を感じ取ってしまうが、この地点に落ち着くことは大切だと思う。この地点には心の余裕が存在するからだ。ガツガツではなく、「縁があれば自然に来るだろう」というスタンス。
ただこの地点に辿り着くには、まずはじめに「好奇心」で飛び込まなければならない。好奇心で色んな領域に飛び込みまくって、この余裕の地平といったものを増やす。開拓していく感覚。
その先は?地平の面積だけ増やして、深さはないのか。
今回のコミュニケーション欲減退の話の肝はこことしたい。今のところ、一旦「これ以上は進まなくていいか」と思えている。だからこそ、欲が減っていると整理したい。
「好奇心」で切り開いたあと、そこをさらに掘り進めるには「愛」がいる。「情熱」といっていい。
「好奇心」フェーズはバフがかかっているので、何でも、どこまでもできる。そこまではいい。ただそのバフが切れた時、愛や情熱がないのにそこにこだわり続けようとするのは、いかにも良くなさそうである。進め方に無理があるからだ。
愛や情熱というのは無理に引き出すものじゃない。自然のものだし、相性や才能、ポテンシャルといった要素を持っている。ただ、仮に愛や情熱がなくても、それは単純に「今はない」というだけで、「長い目で見たら愛や情熱が生まれる」ことも全然ありうる。何が言いたいかというと、焦る必要は全くないということだ。
以上のような考えがあって、「まぁ積極的にコミュニケーションを取りにいかなくてもいいかな」と思ったのだろう。
ちなみにここでいうコミュニケーションは広い意味ではない。「旅先で、外国人と、英語などでする」、極めて限定的なコミュニケーションだ。好奇心駆動で少しできる地点には辿り着いたが、それ以上を目指すほど自分はここへの愛や情熱がそれほどあるわけではない、ということが分かった。
やはり私は家族や友人が大好きだ。その人たちとのコミュニケーションがより好きで、愛や情熱がある。逆説的にそのことに気づいた。
旅は楽しい。楽しいがそれとは別に、普通に早く日本に帰りたい。