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【8/31①】旅への飽き

旅行
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最近、全然喋ってない気がする。今日なんて1回で1文ずつくらいしか人と会話してない。「旅が終盤に近づくにつれ、コミュニケーション欲が減ってきた」と隠居めいたことを言っていたが、結局振り切ることが苦手なので「さすがに喋らなすぎでは」と不安になる。どうしたものか。

今日も市内をひとりで散歩した。グエル公園とグエル教会。グエル祭りだ。どちらもガウディ関連である。

 

グエル公園は私の故郷が誇るテーマパーク、昭和記念公園と似ていた。タイル張りのオブジェや、うねった欄干など、自然と保育園小学校時代の郷愁を感じる。ガウディは昭和記念公園から着想を得たのだろう。

 

 

グエル公園に行く前の道で、街を展望できる公園を通った。旅の中で、ザ・展望エリアという場所よりも、ふと「ここ有名じゃなさそうだけど景色よくない?」という場所の方が印象に残るなと思っていたが、ここもこのようなエリアだった。

サグラダファミリアも見える。海も見える。前日まどに市内を歩き回っていたので、なんとなくあの辺だなというのも分かる。

 

 

グエル公園のあとはコロニアル・グエル教会に行った。市内からは少し距離があるので、最寄駅を降りると人はほとんどいなかった。

静かな街で中国の大于を思い出した。静寂の中、ガウディが建設した教会見学や、街歩きをする。

 

帰りに町イタリア料理屋さんでピザを食べて宿に戻った。

 

今日一日を総括的に振り返らせて欲しい。

グエル教会の町など楽しかった。ガウディの最高傑作と言われるコロニアル・グエル教会は、確かにこれを観るためだけにここに来た甲斐はあったなと思うほどだった。静かな街好きとしても、人通りの少ない町を1人でとぼとぼ歩いて、田舎道を眺めて謎の感慨に浸れたのも印象深い。

 

しかし、だ。

やはり旅の始めほどの鮮烈さは、もはや感じられない。

ストレートに言おう、旅に飽きてきた。2ヶ月弱。一つのことだけでこれだけ続いたのだから、自分としてはもった方だ。そもそも旅に飽きるとは、なんて贅沢なのか。

しかしこれを「良いタイミングで飽き始められた」と捉えたい。

早すぎては当然困る。早く帰りたいと願ったニューデリーの時の気持ちが続くのは控えめに言って地獄以外の何物でもない。

遅すぎるとどうか。例えば旅が終わった時点で「まだ足りない!あと1ヶ月!」となったとしよう。それはそれで幸せなことだと思う、熱中の賞味期限は長い方がいい。

ただ今回の旅の目的の一つに、「1人で遊べることを遊び尽くす」というものを持っていた。尽くすと、飽きる。目的は達せられたのかもしれない。

この旅は1年前から計画していた。そしてあと数日で終わろうとしている。この旅の実行を経て体感したのは、

「やる気、そして計画性と実行力があれば、やりたいことは必ず実現する」

「やる尽くせると、他のやりたいことが生まれる」

ということだ。

この二つを組み合わせると「やりたいことはやる気のあるうちにさっさとやって、さっさと飽きて、また他のやる気のあることにそのエネルギーを振り分けろ」となる。これは私の場合。

飽きて場を変えるというのは軽薄な印象もあるが、何も捨てるわけではない。自分でいうスケートや監査は無くならない。変えるといっても、そういった自分の核となる部分は動かさずに表面だけずらすイメージだ。

そもそも、また元の場所で強く再燃することも全くあると思っている。今などスケーティングをめちゃくちゃ練習したい2Fを降りて気持ちよくなりたい。あれだけぐちぐちいっていた仕事もめちゃめちゃしたいという気持ちだ。人生、そんな波の連続なのかもしれない。とすると、意識的に波を生み出していくのが大切か。

とにかく、直近でやりたいと思っていた1人遊びの「海外旅行」はやり尽くせた。今はとりあえず、家族や友達と喋り、遊び、飲みたい。なんというか、ここの欲だけは不変なのではないか。それはもう人類として、太古からDNAに刻み続けられた欲なのではないかと思う。

旅の中での自分自身への気づきとして、「友達を作ること自体はやはり本質的には苦手。だが、友達になってしまえば本当に好きになる。家族はそもそも好き」というものがある。

残り5日。最後まで油断せず、無事帰国したい。



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