アランフェスに行った。
そこで自分の引退演技を見た。
この幸福感は、ちょっと言葉にできない。
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…というような日記のみで終わらせる気でいた。それほどだった。が、やはりこれは逃げである、言葉を尽くさねばと思い書いてみる。しかし本心としては上記で言い尽くし、言ってない部分はその無限の余白それ自体を堪能したい、といった心持ちだ。
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アランフェスという街に行った。
おそらく“私の”、“1人旅”でないと行かないだろう。どんなに調べても一般的に心惹かれるような観光名所は出てこない。
しかし、行こうと思った。なぜか。
スケートの引退試合で『アランフェス協奏曲』という曲を使っていたからだ。理由はそれだけである。
マドリードから日帰りで行けることは、実は直前に知った。何回か「マドリード 観光」で調べていたが、前日に再度調べて発見したといった具合で、最初から行こうと思っていたわけではない。ここで発見できたのも縁と言える。
電車で1時間弱。車窓から眺める景色は、北欧やオランダに比べてずっと緑が少ない。スペインは茶色い。
アランフェスという街は静かだった。観光客はほぼおらず、たまに現地民とすれ違う程度だ。
散歩をする。時間は16時。木陰の涼しさが気持ち良い。
アランフェス王宮というところが世界遺産らしいが、その日の王宮は定休日だった。王宮の外側を歩くだけとし、「ここであの曲が演奏されたこともあったのかな」と想像した。
行くだけで良い、観光名所を回る必要はないと思っていたが、一つだけやりたいことがあった。
自分の引退演技をこの地で見ることだ。
そこで自分が何を思うのか、それが一番気になった。
手頃なカフェを見つけ、テラス席に座る。実はこのカフェはカフェ兼バーであった。最初はコーヒーを飲んだが、アランフェスに来ているという事実と夕方のテラス席で気分が良くなり、ウイスキーも注文した。幸せな気持ちの時にウイスキーを飲むのは最高なのだ。
スペインまで来てなんだが、響にした。なぜか日本で注文する時の2倍くらいの量が注がれてしまう。量が多いのは嬉しいが、値段を聞きそびれたので何円になるか分からない。法外な値段を請求されたらどうしようと少々不安になった。
まあでも飲み始めたら気分が良くなってその不安は和らいだ。アルコールの最大の価値である。
ひとり。アランフェス。夕方のテラス席。ウイスキー。場は整った。
「あいつアランフェスでアランフェス協奏曲聞いてやがるプププ」と思われるのも恥ずかしかったので、イヤホンを着用し、自分の引退演技を見た。
鑑賞においてこの上ない環境で、これほど思いの詰まった動画を見ているのである。当然色々なことを考えたが、書き残す内容は2つにとどめたい。
一つ目。「今ならここもっと上手くできるな」と思う箇所が多かった。当時は大学4年生。ジャンプなどの精度は当然今より高いが、それ以外のスケーティングや振り付けなどの部分で粗が目についた。同時に、こういう向上心みたいなものがまだあるという自覚は誇らしくもあった。
もう一つは、まぁ何というか、本当に幸せだということだ。
熱中、声援、部活、仲間、ライバル。
色んな、本当に色んな尊い要素がこの動画には詰まっている。
動画だけではない。この動画を見て改めて、そんな過去を、思い出を、自分は持っていたのだということが強く自覚された。
正直、この旅ではスケートのことはほとんど考えてなかった。こんなにスケートが頭からも体からも離れたのは初めてだ。ただ、最後の最後でスケートに再会するあたり、「そういうものなんだな」という想いだ。
「今もスケートが全て」とは言わない。
あの頃ほどの熱量があるかと言われると、それは強く否定しないと当時の自分に怒られる。
それでも、とにかくあの思い出が、昔も今もこれからも、意味深いものであること。この事実だけは世界中の誰にも否定させはしない。
この事実は力をくれる。社会人になってからも、よく動き、色んな新しい出会いや経験ができてるのは、こういう記憶が支えてくれているからである。
改めて、スケートに出会えて良かったと思った。それをアランフェスで感じられた幸福を噛み締めている。
恐れていた料金は17€だった。ここでもし高かったらこんなに幸せな気持ちになれなかっただろうから、お金というのは大切である。(どんな締め)