下書きを放出する企画Vol.9
下書きを放出する企画とは?
・過去に書いたが結局投稿してなかった下書きをそのまま放出する在庫処分企画
・「そのまま」なので誤字、脱字、面白くないなどすべてが恩赦される仕組み
・そのまま放出だけではアレなので、「今、これを読んだ感想」を申し訳程度に付記
・これにより何が起きるか?俺の気分がスッキリするのだ!そんな雑な企画が許されるのか?許されるのだ!これは個人ブログだから!ここは俺の国だ!俺がルールだ!ガッハッハッ!
では放出していきましょう。
〜〜〜〜〜
(2024.5.21下書きより)
新年の目標で「今年は50本ブログを更新する」ことを掲げた。
今書いているこれが26本目で、ちょうど折り返しが始まる。
最初は週に1回更新で達成できると考え、着実に週1ペースを守っていた。
3月くらいまでだろうか。しかし、やはり継続は簡単じゃない。
4月から仕事の繁忙期が始まったことで、言い訳の逃げ道ができてしまった。
予想通り更新は滞った。
アップ日を見ると、やはり日付が飛んでいる。
しかし、実は下書き自体はほぼ毎週書いていた。
書くことは好きだし、こじゃれた言い回しを偶然思いついたりすると嬉しいし、書くと頭が整理されたり思いもしなかった発見もすることもあるので、そういう面でも意味がある。
ということで、今この下書きを書いているのは5/19で、下書きだけで見たらペースは順調である。
ただ実際に投稿するのはもう一つのハードルがあって、ここをサボりがちなのが自分の悪いところだ。
下書きは9割程度は完成している。
あとの1割を推敲してあげるだけなのだ。
なぜこれができないのだろう。
楽しめる部分はもう完了してしまっていることだ。書いているときが一番楽しいのは当然で、それを見直すのは苦痛である。テスト問題を見直すのはストレスフルなのと一緒である。
(まったく話はそれるが、そうは言うものの学生時代は見直しの鬼だった。テストの点数=人間の価値、は言い過ぎだが、テストで高得点を取ることに快感を覚えるタイプの生徒だったので、馬鹿みたいに見直しをしていた。今思い返すと、仕事でポカミスが少ない気がしているのは、この心がけのおかげだったのかも。)
楽しめる部分が完了しているということは、あとは楽しめない部分しか残っていないということだ。具体的には、同じような語尾が連続していないか、誤字はないか、読みやすいか、など形式的な作業が多いのがよくない。今の仕事である監査が向いていないのも頷ける。
…そんなこんなで、5/19のこの時点では、割と投稿をサボっているタイミングだった。
「そろそろ投稿もしなきゃな〜でもまだちょっと仕事忙しいし、下書きは書けているからまあいいか」という状態がしばらく続いていた。
そんなとき、突然後輩からLINEで「ブログ更新待ってます〜」というメッセージをもらった。
まさか読んでるとは思わなかったので驚いた。そして1秒後にとても喜んだ。
単純なので、嬉しい→書こう!となって、今書いているという次第である。ビッグサンキュー、後輩。
やっぱり見てくれる人がいるのは嬉しい。スケートのときもそうだった。先輩や後輩が見てくれて、試合の時に声をかけてくれるのは嬉しい。試合だけじゃなくて、練習でこういうふうに頑張ってたよね、と声をかけてくれるのも嬉しい。
「見ること」そして「伝えること」
大事。
・・・うーんなんか良い着地が思いつかない。
とりあえず後輩に声かけられて嬉しくて書き出したが、見切り発車すぎたようだ。
こういうこともある、すまんな後輩。
〜〜〜〜〜
<今読んだ感想>
・すまんな過去の俺、まさかこの下書き自体も1年超も寝かされるとは思わなかったろう。
・推敲がだるいみたいな話、「下書きを放出する企画」の根幹なので、まるで成長していないようだ。
・伝えることはホント大事。