途轍もなく器用なタイプと自負しているのだが、同じくらいの自信をもって苦手と自負しているジャンルがある。
東西南北の判断だ。
東のことを「南に立った時に右が東」と考えないと、判断できない。「南に立った時」というのが自分で言ってても何なのかよく分からない。
なので具体的な科目でいうと理科の「天体」が本当によく分からなかった。24歳になって初めて「月ってもしかして必ず左から右に沈む…?」と気づくレベルだ。
タリンからヘルシンキにフェリーで戻る時、改めてこの苦手分野を実感した。暇だったので船から見た時に太陽が右と左のどちらに見えるか予想するゲームをしたのだ。
タリンとヘルシンキはほぼ同じ経度にあるため、移動は南北方向だ。
なので、進行方向に対し左が右のどちらかに太陽が見える。これを当てようとしあ。ヒントは行きでの実際の太陽の位置と、シンプルに「常識」。どちらか片方だけで十分正解に辿り着ける。
自分でも今書いていて、何も難しくないように思うのだが、これが難しかった。理由はもう東西オンチだからと言うしかない。
5分ほど熟考の末「そうだ分かった。”右”だ」と確信した。船に乗ると左にとても綺麗な夕陽が照っていた。
言語化は得意なのでこの難しさを説明したい。この難しさは「変数の多さ」に起因する。
変数とは何か。この場合は
①ヘルシンキからタリンに行くのか、タリンからヘルシンキに行くのかの“船の進行方向”
②自分の座っている向き
③太陽の動き
である。
分かるだろうか。3つである。この3つがそれぞれ独立に変化する。2×2×2で8パターンである。これを頭の中だけでやるのは「キャンバスを用いず空に絵を描くに等しい、正に神業」である。
何だったら左手に太陽を見た時、「あの光は右手側にある太陽が海とかガラスで反射した光で、実際に太陽があるのは右だ」と一瞬考えた。自分の信じたい説のために認知を歪める類のバイアスを実体験できた。
ちなみに母は左右オンチで、頻繁に「右ってこっちであってる?」と聞いてくる。血としか言いようがない。
おまけ:
以下、天体苦手トークで書こうとして断念した超具体的な話。
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月について、それまでは右から左に沈むことも、日によってとか観察者が立っている位置とか向きによってはありうると本気で思っていた。
真実に気づいた理由は「上弦の月と思っている月があまりにもいつも上弦の月すぎる」と思ったことがきっかけだった。
何を言ってるかほとんどの人は分からない思うがもう少し私の勘違いに付き合ってほしい。
私の当初の理解、「月は右にも左にも沈むことがある」に基づくと、真実の上弦の月は上弦の月にも下弦の月にもなりうる可能性を秘めている。右に沈めば上弦の月だが、左に沈めば下弦の月だからだ。
しかし試験の経験則上、右に沈むケースを想定して上弦の月と答えると正解の場合が多かった。なので試験上は正解できていたのだが、ここで「だから常に右に沈む」と考えたのではなく、どこかで「ただたまには左に沈むことがある」という気持ちを失ってなかった。
これが24歳ごろ、「それにしてはあまりに上弦の月が上弦の月すぎる」と思って調べたところ、「月は右にしか沈まない」という真実に辿り着いたというわけだ。
「月は右にしか沈まない」という発見は、さらに重大な真実を導いてくれた。「太陽も右にしか沈まない」ということと、「太陽が昇る方向がいつも東で、沈む方向がいつも西という」法則だ。
月と太陽は同じ方向にくるくるしていることは感覚で分かっていた。なので月が右にしか沈まないなら、太陽も右にしか沈まないと帰結される。
そしてこれは…
いやこれよく分からんし絶対読んでる人に伝わらんから諦めよう。ただこの書いたのはもったいないからこのまま出そう。わかる人には分かるはず。