人生最長の夜行バスは意外にもちゃんと休めた。
途中で隣の人が下車したので、2席分を使えた。普通に座りながら寝たり、2席使って横になって寝たり、2席使ってもはや仰向けになって寝るなどしていたらいつの間にかバルセロナに着いた。うまく行った方だ。
朝6:45。バルセロナはまだ暗かった。
当然チェックインの時間はずっと先。近場の観光地を見てしまおうと思った。
最寄りがサグラダファミリアだった。
いきなりラスボスもどうかとも考えたが、“早朝”サグラダファミリアを見るには今日がベストだろう。行くことにした。
バルセロナは意外にも京都的な、マス目状の街なので道が分かりやすい。なんでもバスの区分も、冒頭にHが付く路線がホライゾンタル、海に「平行」な路線を意味し、Vが付く路線がバーティカル、海に「垂直」な路線を意味するとどこかのブログで読んだ。
大通りに出て、おそらくこの方向にサグラダファミリアがあるはず。
と思ってその方向を見ると。
名建築は近くから見てもいいが、遠くから見るのも全く違った味わいがあってよい。日常の中に、平然とした顔をして非日常が居座っている良い意味での違和感がある。
10分くらい歩き、近くからもサグラダファミリアを見た。
建築オタクではないのでそんなに建築物をたくさん見てきた経験はないのだが、見て最初に思ったのは「今までに見たどんな建物とも全く違う」ということだ。
どれとも、一切、似ていない。
完璧なオンリーワンだ。
あの果物は何なのか。
アランカルみたいな白い部分は何なのか。
人の顔は意外にもデフォルメされている。ピカソリスペクトだろうか。
裏にも周ったが、360度全て違う見た目でどこを見ても見所がある。というかこっちが表なのかもしれない。と思うくらいどこからみてもクライマックス。
見た目の奇抜さは当然そうだが、その「大きさ」がより一層奇妙さを引き立てる。
だって「小さい奇抜なもの」ならまだ分かる。個人が頑張って作れば成るからだ。
しかしサグラダファミリアのサイズたるや。言うまでもなく現在も建築中であるサグラダファミリアは、高さ170m超(予定)。建築から120年超経っているという。
このような奇妙なものを、このような規模で建てられるというのは、この奇妙さが周りに「とても」認められているということだろう。「皆で協力して作る価値がある」と思わせているのが、絵画など他の芸術作品とは違うところだ。
どうやって認めさせたのだろう。
以前友達と、マリメッコなどのシンプルなデザインについて「これ俺らでも描けるよね」という話をしたことがある。なぜこれが芸術と認められ、ビジネスとして成り立っているのか、疑問に思った。話の中で「継続ではないか。シンプルなデザインでもずっとやり続けているとそのうち認められる」というものがあがった。
この答えはサグラダファミリアには当てはまらない。どうみてもシンプルではないからだ。明らかにコンプレックスだ。それもとびきりの。
デザインがアートとして認められるのに時間が必要と考えたが、おそらくサグラダファミリアが認められるのには時間は要らなかったのではないか。
そういう種類の天才もある。