妻の新生活準備サポートのためニューヨークに来ているわけだが、1週間したら帰国しないといけない。
ふと帰国時の空港を想像してみると、自分が寂しさでぎゃん泣きしている光景がイメージされた。
ぎゃん泣きはいやだ。
笑顔で「頑張ってこいよ」と送り出し(出され?)、瞳にキラリと涙が光るくらいがいい。
理想はジョジョ3部ラストくらいカラッといきたい。
(ジョジョ3部最終巻より)
どうすればこの境地に達するだろうか。
考えて出てきた答えは「覚悟」だった。
ぎゃん泣きするのは「覚悟」が足りないからだ。
なので、どうやって「覚悟」に至るかを考えたのが、「覚悟計画」だ。
この計画の目的は「帰国までに“覚悟”の状態に至ること」。
ここでいう覚悟とは、
「想定される可能性全てについて現時点の情報でいったん考え尽くし、腹が決まって惑わない状態」
とした。
覚悟計画の目的を簡単に言うと、要は
「不安をつぶそう」
ということである。不安を見ないふりして、そのままにしておくから覚悟ができない、と考えた。
具体的にやることを大きく分けて3つ考えた。
一つ目は、生活上の不安を一緒に解消するこ。
「日常生活が送れるか?」が最も基本的な不安である。買い出し、料理、(掃除、洗濯と書こうとしたがやってない…)など日常タスクを不安なくできるかどうかをできるだけ一緒にやった。
本当は日常タスクだけでなく、クレカどうするかとか、通信どうするかといった「初期設定が大変」系のタスクも手伝いたかったが、難しそうで見守るだけだった。すまん。
代わりといってはなんだが、筋トレを誘ってあげた。「これ以上やる意味ないんだけど私」という声を無視し、自分のメニューを最後まで付き合わせた。良い働きができたと思う。
「お金の不安」対策として、キャッシュフロー表を作るのをサポートした。これは専門性が活きた。えへん。
以上が生活系の不安対策。
二つ目は、「ちゃんと遊ぶ」ことだ。
これは何の不安対策か。こじつけ感が否めないが「せっかく二人でいるニューヨークを遊びつくさなかった後悔」をしないためだ。
海外なんてそうそういけない。遊びたい!遊ぼう!という、無邪気な欲望だ。
妻は新生活や入学準備でタスクが多い一方、こちらは皆無だ。「まぁせっかくニューヨーク二人でいるし!!ずっとタスクし続けもなんだし!!」というゴリ押しで、できる限りニューヨークを満喫することにした。すまん妻よ。二人で遊びたかったんじゃ。
三つ目は最終日セレモニーをすることだ。
これは以前書いた友達のS君から着想を得た。S君は今のパートナーさんにプロポーズする際、「①開式の言葉」から始まるプログラムを作ったとのことだった。やはり変わっている。
しかし、こういうセレモニー的な行いは、覚悟を決めることにおいてはたしかに価値を発揮する。実質的な不安は別途潰しつつ、最後の一押しとして、セレモニーをする。セレモニーだけでは意味が薄いが、ちゃんとやることをやった上でのセレモニーには意味があるはずだ。S君は真理に辿り着いている。
S君にあやかり、「覚悟セレモニー」を帰国前日に実施予定だ。
妻には失笑されつつ開催の許諾を得た。
以上が覚悟計画の全貌である。健闘を祈る。