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見られている意識

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下書きを放出する企画Vol.16
下書きを放出する企画とは?
・過去に書いたが結局投稿してなかった下書きをそのまま放出する在庫処分企画
・「そのまま」なので誤字、脱字、面白くないなどすべてが恩赦される仕組み
・そのまま放出だけではアレなので、「今、これを読んだ感想」を申し訳程度に付記
・これにより何が起きるか?俺の気分がスッキリするのだ!そんな雑な企画が許されるのか?許されるのだ!これは個人ブログだから!ここは俺の国だ!俺がルールだ!ガッハッハッ! では放出していきましょう。
〜〜〜〜〜
(2024.6.2下書きより)


見られている意識


見られている意識があるかどうか。
もう少しつっこんでいうと、かっこよく見られようとしているかどうか。

ここで言う「かっこよく」は何も髪型とか服装とか、そういうことに限るものではなく、もっと概念的でふわふわしている。

こういった意識があるかどうかは大事だ。
会社でつまらなそうに働いている上司を見るとそう感じる。


6年会社で働いてみて、組織に対する印象というのはかなり簡単にうつろうなと感じた。
ちょっとした同僚の発言や、全体ミーティングの特定の出来事などで、ふとその後の雰囲気だったり見え方だったりが変わったりする。

このように考えたとき、上司がどう働いているかは、部下としてはクリティカルな要素だと思う。

というのも、かくいう自分の退職理由は「上司があまり楽しそうに見えなかった」という要素が大きいからだ。

上司が楽しそうじゃないと、チームで働いている以上、自分もそれほど楽しくない。

加えて、将来自分もそうなるのかなと想像もしてしまい、現在と未来の両面から見て良くない。(かつてある上司が「パートナーになると、進撃の巨人の記憶を受け継いだ人たちみたいに皆んな目の色が変わる」とふざけて言っていたことが印象に残っている)

ここまで考えて、「こういう視点で部下が上司を見ていることを、上司はどれだけ自覚的に考えられているのか」と思った。

こういう他者への疑問が湧くと、同時にそのまなざしは自分にも向く。


この点自分の場合はフィギュアスケートという特殊なスポーツをしてきたので、肥大化しすぎた「見られている意識」がある。

どうすればかっこよく見られるか、常に頭の何処かで意識しながらオフィスを闊歩している。具体的な実例を挙げると、極端にゆっくり歩いて、「俺は会社では若いにも関わらず、焦らずどっしりした人格を有しているぞ」というアピールをしている。多分誰も見ていない。

自分を見つめ直したあと、また他者に視線を戻すと、「見られている意識」を意識的に持つことは少し特殊な意識なので無理からぬものなのかもしれない、と感じた。当然程度の問題であるが、見られていることに自覚的にならざるを得ない環境というのは、おそらくそれほど多くないのではないか。そういう場が多くない以上、そこへの意識が希薄になってしまうことは十分頷ける。

「見られていることを明確に自覚している上司がどれだけ増えるか、強いて言えばそれが法人の課題かと思います」
人事との退職面談で生意気にも伝えた。

ここまで書いて、「いやてめえかっこよくねえよ」というツッコミが聞こえてきた。これが見られている意識の難しいところである。だんだんナルシスト気味になりかねない。気をつけよう。

<今読んだ感想>
・確かに前職はみんな余裕なく見えたかも
・今は結構かっこよく思える上司が多い気がする。前より余裕の要素が見える。



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