以前お話した「味覚計画」には続きがある。
以前の「よく噛む」は”食べる”時の意識である。
一方で味覚と銘打つ以上、その味覚を生み出す”作る”時の意識も必要ではないか。
そう思って自分を振り返ると、作るときの意識もこれまでは大変に杜撰だった。
週に2度は外食。週に1度は冷凍餃子。残りは下味調理済み焼くだけ肉、魚(基本、鮭か鯖の2択)をくるくる回すのみ。野菜は毎回カット+レンチンの蒸すだけ料理。たまにトマト、キムチ、300円くらいの既成品野菜料理。
なんとかしないとと思いつつ、数年が経ってしまった。
今年は味覚計画がある。何かを変えねば。
そんな気持ちを持っていた時、偶然年始に読んだ本が土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』である。
要約すると「ごはんと味噌汁を食べていれば十分!」というシンプルな教えが書かれていた。
これならいけそうだ。おそらくこの本を読まれた全読者が感じるであろうことを私も感じた。
で、試しに味噌汁を作ってみた。土曜夕方に作って土曜夜に食べ、残った分を日曜朝に食べたのだが、この幸福感たるや他では味わえないものだ。
野菜料理(このワードが料理弱者の言葉)を食べている実感。
そして、「ちゃんと準備したもの」を食べている満足感。それまで朝は食パンのみを食べていた生活からの懸隔は大きい。温かい汁物を少し寒い朝に食べている感じも風流な感じがして好きだ。
(教えに従い、テキトウな野菜を切って、煮て、テキトウな量の味噌をいれるだけ)
本の一節で特に印象に残った部分がある。
「ご飯や味噌汁をおいしいと感じて受け入れるのは、私たちの「身体」です。ご飯を食べ、味噌汁を飲んでいるとき、おいしさ以上の何か、心地よさを感じていると思うのです。
お肉の脂身やマグロのトロは、一口食べるなり反射的においしい!と感じますが、それは舌先と直結した「脳」が喜んでいるのだと思います。そのように脳が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさは別だと思うのです。」
朝に味噌汁を飲んで、土井さんが言わんとすることをを体感した。
「うまい!」ではなく「ああ、よい」である。よいものはよいのだ。
味覚計画の目標の一つには「何か1品、生涯を通じて追求し続ける料理を決める」というものがあったが味噌汁にしようと思う。